日本人の柔軟さ
日本人は真面目で勤勉というイメージが世界的にはありますが、実は日本人はとても柔軟な発想の持ち主なのです。
室町時代にみられる
室町時代には応仁の乱が起こります。それまでは日本は水を使った壮大な日本庭園が主流であり、これぞ日本の文化と呼ばれていました。ですが応仁の乱の、庭に手入れを施す余裕がそのころの日本にはなくなっていました。そこへ出現したのが枯山水の庭です。
中国からの文化
枯山水の庭は、古代中国から日本へ伝わってきました。つまり、日本人が取り入れたのです。水を使わずに、山、水を表すのが枯山水の庭。砂紋とよばれる模様で山や水を表しました。京都に行くと砂でつくられている枯山水のお庭は室町時代に日本人が中国から取り入れた文化なのです。室町時代は鎖国の前ですが、すでに異国の文化を日本の文化にしてしまっていたのです。もし、枯山水の庭がなければ、今の美しい京都の庭もなかったかも知れません。
もちろん室町末期には、日本ならではの書院造も創造します。畳を部屋に敷き、ふすまで部屋を仕切り、たてじくを飾るなど今も残る和室というのは、室町末期に日本人が完成させた文化です。また、この時に今の婚礼作法、行儀作法や、能楽や謡曲が観阿弥、世阿弥によって大成されていきます。
日本独自の文化だけでなく、必要があれば海外の文化も取り入れる柔軟な発想が室町時代にはあったといえます。