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自分よりも他人を大切にする意識はどこから生まれたのか?

世界では日本独特の文化を遠慮気味だとか、控えすぎだとか自己主張がないなどと形容されたりします。我先にという人は会社でもグループでもあまり好まれないのが日本ですが、その文化はいつからはじまったのでしょうか?

 

作家の司馬遼太郎さんによると、日本人の意識の基礎をなしたのは武士の精神なのだそうです。武士には”名こそ惜しけれ”という特別な倫理観がありました。

 

武士が生まれる前の平安時代は京都の天皇、公家の全盛期でした。律令制度のもと、民は重い税金に苦しみます。平安時代末期には逃亡する農民がでてきたのです。逃亡した農民の中から武士が生まれたと言われています。

 

武士の”名こそ惜しけれ”の精神とは、京の公家の精神とは違っており、”自己を律して他人を大切にする”というものでした。

 

能の演目の中の「鉢木」でも名こそ惜しけれが良くわかる部分があります。

 

貧しい旅人が武士の家にやってきます。部屋の中は寒かったのですが、佐野源左衛門常世という武士は、妻と二人暮らしの中冷え冷えする部屋に暮らしていました。ある日、旅人が雪の中やってきます。夫婦だけでも大変な生活の中、武士は、旅人のために秘蔵の鉢の木を切り、旅人に暖をとらせました。後に、この旅人である僧侶が北条時頼であったことがわかり、常世はたいそう出世したというお話です。これは後の小笠原流流鏑馬の精神にも通じるものがあります。

 

武士のはじまりは坂東武士だったそうです。平安時代律令制度のもと、安堵状とよばれる、土地を武士のものとする書状により武士が台頭し、全国に武士が広がります。

 

武士の精神は平安時代末期の農民による、公家社会にたいする反骨精神から生まれた独自の文化だといえます。そして、ヨーロッパのキリスト教に対抗する”名こそ惜しけれ”の独自の美しい精神が誕生します。

 

そして中国でも朝鮮でもない日本独自の鎌倉幕府が誕生し名こそ惜しけれの精神が受け継がれていきます。

 

そして自己を律し、他を大切にするという名こそ惜しけれの精神は、公の意識として全国の武士へと広まりをみせていきます。

 

日本人は世界中からその意識の高さをたたえられています。東日本大震災のときの東北の人々がじっと耐えながら乗り越えた団結力や、サッカーのサポーターが試合のあとゴミを集めるなどです。武士の時代の名こそ惜しけれは、今も日本人の意識に垣間見られているようです。