深まる公への意識
鎌倉時代にはいり、武士の世になると、ますます公への意識が深まります。
作家の司馬遼太郎さんによると、公への意識を深めることになる代表的な二人はこの人たちなのだそうです。
栗田定之歪(くりたじょうのじょう)
定之歪は秋田市の新屋地区に住む貧しい下級武士でした。このころ地域は砂丘の飛砂に悩まされていました。定之歪は民を砂から守るために、松を防風林として植えようと考えます。そうすれば田畑を維持できるからです。
得られない民の協力
定之歪が頼んだところで民はそんなの出来っこないと始めから誰も協力をしてくれませんでした。当時、こどもが親におんぶや抱っこをせがむことを”だだっ子”と言いました。定之歪は執拗に民に協力を呼び掛けます。そんなのことを民は”だだのじょう”とからかいました。
事業が成功した理由
だだのじょう、ではなく、定之歪はただただ民のためを思い、何の見返りも求めず松を植えていきます。その期間なんと8年間。定之歪の真摯な行為に人々は心をうたれます。人々の意識が変化したのです。そして女性、子供と全員が参加し、植林は成功します。その期間15年で参加人数総勢7万人。
北条早雲
勢力争いをする兵や民のなかから大名と呼ばれる人たちが台頭します。この中の一人が早雲です。早雲は民を従わせるために、大名たちに向けて、嘘をつかないなどの家訓をつくります。大名たちは自分たちに誇りをもちます。そして武士たちには”恩義ある人のために”という忠誠心が芽生えます。そしてそれが”この領国のために”に変化し、公の意識へと変化していきます。
公への意識~日本の芸術作品
定之歪、早雲により、貧しさの中に己を律し、公に使える精神が民衆にも芽生えたのです。人はどのように行動すれば美しいのか、どう動けば公のためになるのか、これらの意識は日本人ならではの芸術作品だったのです。そして江戸時代の武士にも、公の意識は引き継がれていきます。
会社の上司と部下の関係、社員の会社への忠誠心、日本人の団結力はこのころから始まっていたと言えそうです。
出典:https://www.youtube.com/watch?v=yPCno5Tk4ik