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世界視点が必要~日本アカデミー賞から考える

日本アカデミー賞に疑問を感じる。なぜなら、すでにアカデミー賞はアメリカにあるからだ。ノーベル文学賞もそうだが、日本一を目指すなら、このグローバル社会、どうして世界一を常に目指さないのか。

 

日本だけの小さな範囲で賞をつくることは、日本人のための日本人だけの日本の時勢に即した視点を配慮した映画になってしまう。今回、アメリカのアカデミー賞を受賞したのは躍動感あふれるダンス物語や黒人少年が主役の心温まる映画だった。これは、移民問題、トランプ政権への移行など躍動感あふれる時代を象徴していると思われる。

 

日本のアニメがアカデミー賞をとれなかった理由について、疑問視する声もあったが当然だと言える。確かに宮崎駿監督らしい、癒し系の映画であることは間違いないのだが、世界の時勢は今大きく変動している。ニュースではこれからの新作のテーマについて、これから考えどころなど報道されていた。

 

日本アカデミー賞芥川賞があるから、文学も映画も日本視点を重視してしまい、世界の視点からはずれてしまうのではないだろうか。2020年に開催されるオリンピックにも共通している気がしてならない。パフォーマンスは誰に向けてのものなのか、日本に住んでいる人達に向けての日本像、世界の人達に向けての日本像の2種類が存在していないか。それこそまだまだ日本が、世界に追い付いていないからではないのか。

 

世界に発信すると考えた場合の日本人や日本像、日本人向け対象とした日本人や日本像が乖離していては、これからもノーベル文学賞アカデミー賞で日本が入賞することはないのではないだろうか。日本人向け対象とした日本を描きつつも、その先には世界における日本人をも描くものでなければいけない。その点で日本アカデミー賞はいらないとさえ言えそうだ。

 

逆に考えれば、世界の時勢に即した日本人像や日本の未来像を考えて行くことつまり、世界視点でいつもクリエイトしていけば、世界の文学や映画の歴史を塗り替える日も近くなると想像できるのではないか。

 

厚切りジェイソンさんや、ピコ太郎さんのように、外国人が他の言語圏を面白おかしく強烈なユーモラスで描くのもいいだろうし、日本っていいなあと思えて、日本も世界に文化的な個としてつながっていると世界の人が気付くような、そんな作品でもいいのだろう。日本人は閉鎖的で消極的でアピール度が少ないと思いがちだが、日本ならではの寛容さや繊細さやのんびりさもある。日本のことをあまり知らない海外向けでありながらも、日本に住んでいる人、日本映画を字幕なしで見る人にとっても改めて日本の良さや感動を与える作品。

 

一方、アメリカのアカデミー賞にも問題がある。アメリカのための映画祭となっており、1年以内にロサンゼルス地区で上映されなければ、候補にもならない。これで栄光を勝ち取っても、世界の映画の頂点とは言い切れないのではないのだろうか。アカデミー賞の最中に、一度もツイッターをめずらしくつぶやかなかったトランプ氏だが、アカデミー賞に関してだけは、逆に「アメリカから発する世界のための映画の祭典」と対象を世界中の映画に、選考委員を世界の人々に、まるでアカデミー賞国連のような、京都議定書のような存在になる日もくるのだろうか、来てほしい。移民をあたかも排除するようなトランプ氏の演説を辛辣に批判していたわりに、意外にアカデミー賞自体が閉鎖的である。これではトランプ氏の掲げるアメリカファーストと何ら変わらない祭典になっていくのではないだろうか。

 

これからの日本に期待したいと思いながら、そのままレッドカーペットに登場してほしい石原さとみさん、主演女優賞ノミネートの中で一番貫禄がありながらもキュートだった広瀬すずさん、黒木華さんが、妖しいですよねぇ~とツッコミを入れた綾野剛さんが印象に残った。