説教は説法ではない?

説教は本人の前で、本人の愚痴を言うことではないだろうか。だから耐えられない空気感が、説教を聞く側に流れているのではないだろうか。説教をした人は、気分よく眠れるのだ。なぜなら、相手に直接愚痴をこぼすことが出来たのだから。説教された人は自分に対する愚痴を聞いていることになるし、しかも相手が目上の人なら反論できないのでその日一日不眠状態だ。説教には、説教をする人の憂さ晴らし効果はあるものの、説教によってもたらされるメリットは聞く側にはほとんどない。

 

もしかしたら説教は、説教している人から説教される人への改善要求なのかも知れない。そう思うと、説教される側は相手の不満、要望に応えなければいけないのではないかと思う。

 

しかし、時々本当に相手のことを思い、相手にとって本当にプラスになるアドバイスをする説教の強者もいる。私はその人の説教がそれに値するものだと思ったなら、説法だと思って聞くようにしている。

 

www.youtube.com

クラウドソーシング「ランサーズ」